「 いろは歌」にこめられたコトワリ

はじめに

 法圓寺の境内に氷による仏像や聖山など不思議な造形物が出現し、特に、近年になって、三角四面体が頻繁に示されるには、何か訳けがあるのかもしれないという気がして、暗中模索ながら探求を続けている。人生のほとんどを宗教的なことがらに終やしてきたこともあって、この不思議な造形の神聖幾何学的意味合いを探りたいという気持ちはあったが、しかし、すぐに、秘教や秘教科学に飛びつく気にはなれなかった。理由は、こういった見えざる世界を取り扱うには、自分に信頼できるほどの見識が無かったことと、どうしても、こういったスピリチュアルな世界観の背後にうごめく、迷信や妄想、欺瞞や狂気に対する嫌悪感のようなものがあったからだ。
 だが、そうした、秘教などに対する嫌悪感とは全く無関係に、次々と、説明がつかない現象が起こり、それをまるで説明するかのような文献にまで遭遇したりする。それは「向こうから示されてくる」かのような現象のように思われた。
 平成22年12月に池袋のブックセンターで手にした書籍もまさしくそうであった。その当時、小生は、こういった関係の書物には関心がなく、まず、目にしたとしても、通り過ぎるだけであった。ただ、ときおり、書店に入る前に、(私が読むべき本があればお示しください)と祈ることもあり、その直後に目にした本は必ず手に取ることにしていた。祈りはというほどのものではないが、自分においては、決してこうして目に触れた書籍をないがしろにはできない不思議さがあったからだ。そうして手にした書籍は数十冊に及ぶが、みな、思も及ばない深い繋がりを有していることに、後で気づかされることが多い。前もっての関心や情報に基づいて選んだものならいざしらず、何らかのテーマに沿ったものに導かれているような、そのようなことに気づかされる。

 現象として氷の三角四面体が出現する前後にも、このようにして与えられた文献は数冊あった。中でも大きく関連していたものに、J.J.ハータック著『エノクの鍵』と楢崎皐月の『日本の上古代文明と日本の物理学』に関連した書物であった。
 たまたま手にした本というには、どちらも関心外であったし、楢崎のものは、一般書店にはあまりないものであった。
 しかも、一見すると、どちらもかなり難解な書籍であった。
 しかし、驚いたことに、『エノクの鍵』の序文に目を通すと、そこには、45年前、小生が或る恩師からの直接遺言的に聞かされていた秘儀の内容に酷似しているものを感じ、それが、この本は(読み込まなければならない)という強う衝動にかられた。しかし、小生が辿った宗教観とは全く異なっており、極めて読みにくいものであったが、眺めている内に、あの不思議な三角四面体の現象の意味を暗示させるかのような重要な記述があることに気づかされた。
 一方、楢崎の文献については、上記の書物とは全く無関係に導かれて手に入れた書籍であった。この著者の背景を少し調べると、何か、曰く因縁のありそうなものではあったが、自分の祈りの末、与えられた『日本の上古代文明と日本の物理学』の論考は、極めて明晰であり、小生が最も曖昧に感じていた或る重要なテーマを紐解くものがあると感じる。もちろん、科学や古代の文献には全く疎い自分ではあるのだが、(これは、なにか大事なことを述べているのではないか)という、やはり、強い関心が働いた。
 この楢崎の物理学の内容について、今日の物理学者がどう評価しているのか知るよしもない。

 だが、最近、湯川秀樹博士の研究を継承する保江邦夫という物理学者が監修した『完訳カタカムナ』(保江邦夫監修・天野成美著)という書物が出版されている。この本の中で、「楢崎の潜象物理と湯川の素領域理論は全く合致する」と述べられていた。
 やはり、そうであったかと、内心、与えられたものとしての「楢崎の日本の物理」に非常な関心を持たざるを得ないものであった。


 さらに、楢崎の説に光を当てるかのように、令和3年正月に、以下のことをテーマにしたテレビ番組が放映されていた。
 【英雄たちの選択 スペシャル 「古代人のこころを発掘せよ!!」
個性的でミステリアスな姿が大人気の「土偶」。その顔の表現の変遷から縄文人のどんな心理が読み取れるのか?弥生時代の「テクノポリス」と驚きの「海洋経済ネットワーク」とは?カラフルな幾何学模様で埋め尽くされた「装飾古墳」には、人々のどんな心情が投影されているのか?縄文・弥生・古墳、3つの時代をディープに掘り下げ、現代の日本人にもつながる“古代人のこころ”を探求。ロマンあふれる古代史の魅力をひもとく!】
 この中でとりあげられていた「王塚古墳」にみられる幾何学模様が、世界にも類例がない高度な日本独自の文化を示唆しているというものであった。
 もちろん、この番組そのものが、楢崎のことを取り上げていることはない。たまさかこの番組の中で、或る研究者が「王塚古墳などの古代人の幾何学模様が、潜在的に日本人の自然との共生における高度な直観性を示しており、世界に自慢できるすごいものだ。」と驚嘆していた。
 まさしく、王塚古墳などこのあたりの古墳群には、小生が探っている「三角四面体」を思わせるもの模様が数多く鮮やかに描かれているのである。

 歴史上、この時代には日本に文字はなかったといわれている。だが、その、文字とは何だろう。確かに、古事記や日本書紀が世に出たときは、権威の統治における中国や朝鮮半島の先進的な高度な外来文化を吸収しようと躍起になっていた。彼ら為政者の記述は、「それまで、ここにすむものたちは、木や植物や獣とことばを交わす奇怪なたみであった」などと、未熟な民のごとく評価されている。
このようなことは、近代においても経験している。明治維新の文明開化の時がそうであった。先進諸国に比べ日本の文化は未開人の稚拙で迷妄な文化だ蔑視することで、欧米の列強に追いつき追いこさんとする為政者たちの思惑を感じる。西洋文明に対する憧憬が勝ちすぎて、これまで日本に醸成されてきた日本の豊かな文化も迷信の類いとともに廃棄された時代を彷彿とさせる。
 昭和の終戦後から今日に至る日本もそれに近い。エコノミックアニマル。日本人何でもあり教と、その無信仰ぶりを揶揄されている。が、それはうわべだけの判断で、決して、そのようなことはない。
 推し量るに、文字がなかったといわれる日本の上古代の文化は、本当にことばもない未開の文明であったのだろうか。遺跡の発掘調査が進むにつれ、必ずしもそうではない歴史の事実が明るみに出てくることもある。
 確かに漢字のような文字はなくとも、日本人の生きたことばは存在していたという方が自然であろう。一万五千年以上、全く戦争がなかった縄文時代は、人類史上希有なる文明であったと、世界中が縄文の文化をに非常な関心を示していると聞く。
 自然と人間とが共生し、豊かな文明を築いていた文明は有史以来、縄文時代をおいて他にはないと、世界中の注目を浴びている。また、同じように、欧米人は、日本の文化に対し、明治以降の日本文化ではなく、明治以前の独自に花開いた日本の文化に、たぐいまれで、香り高く豊かな文化に、魅力を感じ、それが素晴らしいと見直されているというのだ。


 さて、ここで「あの氷の三角四面体の謎を紐解く鍵があるのではないか」として、楢崎の論考を取り上げる理由は、楢崎がある人物から見せられて写したという古文書には「渦巻き状に記された幾何学模様が描かれており、不思議に思い、それらを解読した結果、そこには上古代の直観による物理がしめされている」ことに気づいたという点にある。
 それは楢崎自身がまだ及びも付かない高度な物理理論がすでに解かれていて、それはまた日本人の原初のことばの表音文字であったという。古事記や日本書紀が編纂された時代に、日本に大きな影響を与えたという漢字にも、ハングル語にも、サンスクリット語にもない、日本独自のことばがあって、しかも、それは、日本人の母国語として現在も生きているというのである。

 話は、飛躍するが、弘法大師空海の時代は、文字文化を自由に繰ることができるものは日本社会全体の中でほんのわずかのひとであった。その彼らが自らの学識を表明する専ら拠り所としたものが漢字文化にあった。空海は真言密教立宗開示する際、漢文で表現していた。しかも、空海の文化的宗教的素養の高さは、当時の唐の文人墨客や僧侶たちが驚嘆するほどの天才ぶりであったという。
 しかし、残念に思うことは、こうした空海の漢文の転籍を通してだけでは、空海の時代の日常会話や、その当時の庶民とのやりとりの言葉が声が、母の話を聞くようには聞こえてこないのは私だけであろうか。日本の庶民が中国語や他の国の言葉を母国語としてはいないであろう。漢字や漢文などは極めて限られたの一部の人のものであったろう。となれば、その当時の日本人の母国語は、生活用語は、普段の話しことばは、おそらく、外来文化で根こそぎ書き換えられない限り、もちろん、日本独自の表音の母国語として縄文以前から自然に培われていたものがあったはずだと思う方が自然ではないだろうか。漢字のような文字はなかったかも知れない。しかし、そこには人々が暮らし、支え合っていた文化は豊かに醸成されであろうし、生きたことばは、母から子へと代々自然に受け継がれるものである。たとえ、それを時代の為政者にすっかり書き換えられたとしても文字の記録でしかなく、人々の生活用語である母国語を消すとすれば、全て人々の意識を書き換えねばならないだろう。仮に独裁者がそれを図ったとしても、けっして母国語は消えることはないのではないか。人がその国、その地域で生きている限りは・・・
 それは、今日の日本を見ても理解できるような気がする。明治以降ドイツ語や英語が規範とされたからといって、人々の暮らしから日本語が消えたであろうか。使われなくなることはないように、母国語と言われるものは、子供が育つ環境の中で誰もが自然に親から子へと引き継がれ身につく。日本人だからというのではなく、ここでいう母国語とは、人々が生まれ育つ環境に生きた言葉であるという意味では、世界中にそれぞれの母国語がある。
 さて、楢崎はそうした母国語の一部として解析した渦巻き状の幾何学模様が、確かに、日本の母国語で読まれた八十種の七五調のウタであることに気づいたという。それと同時に、そのウタの一部に日本語という母国語の原語の表音である四十八音が一音づつ織り込まれているウタであることに気づいた。それを基に時間をかけて八〇種のウタを解析した結果、このウタが母国語を通してその当時の古代人の高度な天地自然の文明を伝授していたものであること、しかも、旧事紀や神代文字よりも更に古いものを伝えていることなどを解読できたという。


 話は、また飛躍するが、江戸時代後期に慈雲尊者穏光という仏者がいて、鎖国状態の当時としては驚異的なインドのサンスクリット語学に精通した真言密教の僧であり、祖師であり、あらゆる仏道にも精通し、「釈尊に帰れ!」と、庶民にも理解できる仏教を解いていた。この慈雲尊者は晩年、日本文化の基底にある神道に没頭し、自ら「雲傳神道」を確立する。その慈雲が、「日本は漢民族や大陸の民族にも劣らない、また、外来の佛教や儒教や道教にも劣らない極めて高度な独自の文化を擁していたのだ。」と明記している。
 もちろん、この神道は、今日の神道とはかなり異なるところもあるが、少なくとも、空海の時代の両部神道を継承する。

 そこで、日本人の母国語四十七文字とンを加えたの「いろは歌」(空海作伝)を楢崎の解読した上古人の日本語の原意「ひふみよいまわりてむなやこと云々」のウタの理念から読み取れば、この「いろは歌は」何を伝えようとしているかがわかるかもしれないと思い立った次第である。
 この解読方法は、「いろは歌」の従来の説とは全く異なるものとなる。それも、楢崎の理念による翻訳であるから、必然的に、この「いろは歌」の解釈は楢崎の理念で描かれるものとなる。果たして、上古人の理念が楢崎が解読した理念であったかどうかは、知るよしもないし、学説上、その認められているものでもない。しかし、楢崎が解読した日本人の母国語の理念、その理念の基にある「日本語が、上古代人の直観した宇宙観、天地自然の物理からきている」という点に注目した。
 後述するように、「いろは歌」に織り込まれている上古人の直観物理は何の矛盾もなく、理路整然と、現代科学を持ってして驚愕すべき内容として織り込まれていたことになるようだ。

 さらに、「ン」についてであるが、空海の『吽字義』はまさしく真言密教の奥義である。調べてみると、空海の『吽字義』に解かれる内容と楢崎の潜象と現象の物理の理念は、全くの相似象にあることが明らかであるよう思われる。我田引水というより、解読してみて初めてわかったことであった。重ねて、驚きと言うほかない。
 
 法圓寺の境内に示された「氷による三角四面体」から、自身のなかにおける空海の奥義に再び光が当たる思いがして、歓びに堪えない。
 この思いを、みなさまにもお伝えできればと、浅学非才の拙文ながら、今回まとめさせていただくことにした。
 まだまだ探求の緒に就いたばかりで、理解ははなはだ浅く、誤解も多い。
どうか、ご容赦賜りたい。
                                    合掌
令和3年1月1日元旦
                         萬歳楽山人 龍雲好久

あとがき
 上古代人の文化に関する幾つかの視点があることに導かれることがあった。それまで、上古代人の文明については全く関心外であったが、法圓寺の境内のつくばいに、平成20年以降、自然現象とはいえ、ときおり出現する氷の聖像(神聖なるものをかたどっているように見える)のなかで、三角四面体の幾何学的造形が頻繁に出現し、「どうして、このような幾何学的造形が繰り返されるのか」不思議でならなかった。
 自然現象なのだが、その神聖性に意識が向くというのも、小生の精神的風土が寺にあったからであろう。不思議に思う中で、ことさらに曼荼羅図像や五輪塔、慈雲尊者の雲傳神道、ヘルメス文書、神聖幾何学、神智学、ハータックの『エノクの鍵』さらには王塚古墳などにおける図像文様など実に興味深い文献に集中的に巡り会うことがあった。今回、取り上げた、楢崎皐月の日『日本の上古代文明と日本の物理学』もその中の一つであった。特に、楢崎の研究内容については、この文献に巡り会うまでは、全く、その存在すら知らないものであった。不思議なことに、楢崎の文献が次々と手に入り、それを読み込む中で、驚いたことは、小生は、昭和53年頃、すでに、ある人物を通し、楢崎の理論に触れていたことであった。そのときは、端正な姿をした老人に知人に伴われ尋ねてきたのであるが、「自分は合気道と、かけはぎの仕事を生業にしている。しかし、ある事情で、それは世を忍ぶ仮の姿であって、本来は日本の上古代に関する研究している。東北大学の教鞭を執る弟子もいる。」という。記憶ではこのとき、彼は、楢崎皐月の名は一切口にしていなかったように思うが、その内容は、四〇数年たって偶然手にした楢崎皐月の『静電三法』の解かれてある内容そのままであった。彼は、それを古文書に記されているものとして小生に紹介していた。学識も見識も高く、宗教的にも蘊蓄の深い人物ではあるが、日本の歴史は書き換えられていると主張し、いささか奇異な話をする人物であった。特に、「三尺四方穴を掘って木炭を3俵埋めておけばそこの磁場が浄化される。あなたは住職としていろいろな人の困り事の相談を受けることもあるだろうから、何かあったら、古文書に伝わるこの方法教えてあげなさい。」と、詳しくその方法や効果について話してくれた。さもありなんと、この古老から聞いた方法を、困っている方々に試してみる伝えることもあったが、程なくしてこの人物が他界したこともあって、ほとんど、この分野のことは気にもとめずにきていた。まさか、平成も終わり頃になって、たまたま手に入れた楢崎皐月『静電三法』に書かれている内容だったとは・・・。出元が楢崎皐月の研究本であることがはっきりした。わかった。今思えば、もっとよく勉強しておけば良かったと、自分の愚鈍さを後悔する。 このようなことから、何か見えざる世界からの手ほどきを得ているという感覚が残るのである。そもそも、小生がはじめからこうしたことに興味があったわけではなく、氷の現象のように、そうした文献や人物がたまたま示され、それが全て関連していることを後で気づくということは、何も小生ばかりではなく、ほかの方々にもよく起きることであろう。この頃、あたかもシンクロナイズするかのように、同時に、日本の上古代人の文化に関する文献に幾つか巡り会っている。一つは慈雲尊者穏光の雲傳神道。空海所伝の十種神寳・麗記紀、先代旧事紀など。他に世界の秘教に関わるものなどであった。これらは、何度も言うように、その奇縁を与えられたようにしてである。概して楢崎に関連するネット上の情報は、あまり興味は無かったし、かえって、楢崎の研究の信憑性を疑うものも多い。もし、『日本の上古代文明と日本の物理学』を手にしていなければ、まず、あまり入り込めるものではなかった。
 しかし、楢崎自身による「日本の物理学」連続講演会予稿に目を通すうちに、この楢崎の潜象物理の理論が、小生がライフワーク上最も困難な命題としていた「ブッダ親説」対「神秘宗教やスピリチュアリズム」の問題に一条の光を投げかけているような気がしてならなかった。この、命題に苦悩していなければ、氷の現象である三角四面体も、神聖幾何学上の問題も、唯識や瑜伽思想も、スピリチュアルな問題も、小生には不必要であるばかりか、迷いの最たるものでしかなかった。
 もちろん、所詮、凡庸極まりない小生が扱えるテーマではないのだ。まして、時代を問わず、洋の東西を問わず、天才が明示した諸文献を云々する自体、もってのほかであろう。
 しかるに、なぜか、頻繁に、遭遇する不可思議な奇縁には、ひとえに、そこに、「見えざるものの、何かしらわからないが、はからいがある」ような気がしてならないのである。

 さて、世界は新型コロナウイルス感染症の問題で震撼し、この寺も、ひっそりと年末年始を迎えていた折しもの、手元に一冊の本が置かれた。
『完訳カタカムナ保江邦夫監修・天野成美著』明窓出版
 この中で理論物理学者である保江は楢崎の理論は自分が恩師湯川秀樹から引き継ぎ生涯かけて研究してきている「素領域理論」と合致する宇宙原理であり、それ故にカタカムナには超弦理論の主張が入っているはずもない。というコメントを載せているものだ。
 この本に目を通しているうちに、ふと、あの「いろは歌」が心に浮かび、この「いろは歌」をこのカタカムナで紐解くとどうなるのであろうかという思いがして、単純に、いろは歌をカタカムナで翻訳してみて、驚愕した。カタカムナの理論で解読するのだから、当然、カタカムナの世界が描かれるわけである。
 だが、ことはそう単純ではないような気がしてならない。小生のようにカタカムナをしらないものが翻訳しても、誤訳や、誤読が生じる。が、ヒントは、この『完訳カタカムナ保江邦夫監修・天野成美著』明窓出版にあった。
 とかく、新たな出版物が出ると、長年カタカムナを研究してきたと自負するものやネット上の情報で評価するものなどからは、直観物理をどう理解するかで深浅を問う意見もあろうが、魑魅魍魎の類いが多い中で、この本は極めて明快なスケールを教示しているように思える。
 しかし、この本だけでは、説明しきれないものがある。それは、楢崎自身の物理論である。
 そこで、日本語としての「いろは歌」を通して、上古代人の天地自然観を理解するとどうなるかをここで問うべく、試論を展開し、その理解に資すべく楢崎皐月「日本の物理学」連続講演会予稿・序論・神名文化と始元の神道(1969年6月)の一部を添えておく。
 冗長に渡るが、「いろはうた」は今日に至るまで日本人の心の底流に流れるものである。仏教・雅楽・和讃など通じ、日本語の原点としていろはは流れている。
令和3年1月1日元旦
                         萬歳楽山人 龍雲好久

  参考文献
仏教・密教・神道関係:
    『評説インド仏教哲学史』山口瑞鳳著  岩波書店
    『弘法大師著作全集』編集者 勝又俊教 山喜房佛書林
    『現代語の十巻章と解説』栂尾祥雲 著 高野山出版社
    『慈雲尊者神道著作全集』       八幡書店
    『先代旧事本紀』訓註大野七三      批評社
    『先代旧事本紀』[現代語訳]監修者 安本美典 訳 志村裕子
                        批評社     
    『校註解説・現代語訳 麗気記Ⅰ』大正大学総合仏教研究所
                    神仏習合研究所 法藏館
カタカムナ文献関係:
     『相似象』相似象学会誌 1号から15号 編集者 宇野多美恵
     『カタカムナへの道・潜象物理入門』関川二郎著・稲田芳弘編
     『完訳カタカムナ』保江邦夫監修・天野成美著 明窓出版

カタカムナ文献関係:
     『相似象』相似象学会誌 1号から15号 編集者 宇野多美恵
     『カタカムナへの道・潜象物理入門』関川二郎著・稲田芳弘編
     『完訳カタカムナ』保江邦夫監修・天野成美著 明窓出版